2010年1月8日金曜日

主の御顔

臨在の幕屋で「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた」
(出エ33:11)。

それでもモーセは飽き足らなかった。主御自らが顔を合わせて語ってくださったにも関わらず、モーセは納得しなかった。彼は執拗に願い求める。「『お願いです。もしあなたがわたしに御好意を示してくださるのでしたら、どうか今、あなたの道をお示しください』」(13節)。それに対して「主が、『わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう』」(14節)と約束なさっても、なお彼は主に詰め寄る。「『もし、あなた御自身が行ってくださらないのなら、わたしたちをここから上らせないで
ください』」(15節)。

モーセの要求は理に適っていない。主が行くと語っておられるのに、なおも「行ってください」と訴えるからだ。しかし、主はモーセを退けない。「主はモーセに言われた。『わたしは、あなたのこの願いをかなえよう』」(17節)。

そして、願いに応えて神がモーセに顕れる。先に顔と顔を合わせて語られた(恐らく御子なる)主ではなく、「『あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないから』」(20節)と言われる主、恐らく御父なる主が、モーセに背を向けて顕現なさった(23節)。しつこく、余りにもしつこく迫るモーセの元に父なる神御自身が下られたが、その御顔の栄光は隠されていたために、モーセは死なないで済んだのだ。

求めよ、求めよ、神を求めよ。あなたに適した配慮を神の側がなさった上で、あなたに神が出会ってくださる。

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