北海道は冬が基本である。冬を重視して生活を整える。厚手の衣料は言うに及ばず、油をからめた濃い口の味付けも暖房効率を考慮した家屋も、そのためである。四季の長さは各々異なるにせよ一年一度は巡ってくるわけだが、意識の中心には常に冬があるような気がする。
北海道に来て納得できるようになった聖句に、「このことが冬に起こらないように、祈りなさい」(マルコ13:18)というものがある。神学上の意味は以前からだいたい知っていた。主イエスが語られた勧告だ。ユダヤがローマ帝国軍によって侵攻される時が来るだろうから、その時は一目散に逃げなさいと警告なさったのだ。それを各時代の人々は自分の世代に当てはめて、艱難が到来したなら着の身着のまま脱出するべきだと理解する。それが冬だったら逃げるのが大変なので、苦難が冬に来ないよう祈りなさい、と。
理屈は分かっていても、納得していなかった。夏でも冬でも大して変わらないじゃないか、逃げる気さえあったらなんとかなるだろう。わざわざ聖書にこんなことが書いてあるのは、なぜだ。
北海道に来てから、その小さな疑問が解けた。確かに冬は行動が遅れがちだ。空模様のちょっとした変化にも気を使わなければならない。だから私たちの主は微に入り細にわたり、そう祈るよう教えてくださったのだ。これを敷衍して、「穏やかな冬を過ごせますように」と祈ることも、私たちには許されているのではなかろうか。
イスラエルの冬は雨期である。普段は乾燥している低地にも水があふれ、徒歩での旅には支障を来たらす。北海道とは形が違えども、彼らも冬を意識しながら生活を整えていたのかも知れない。
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