小樽日報を退社して釧路新聞での職に就く途中の1908年1月20日、石川啄木は曇天の旭川に立ち寄った。
「旭川に下車して、停車場前の宮越屋旅店に投じた。帳場の上の時計は、午後三時十五分を示して居た。」現在の西武デパートの辺りに当時は旅館が建っていたそうだ。
チェックインを済ませると、北海旭新聞社に勤める野口雨情を訪ねるも、あいにく留守であった。「流石(さすが)は寒さに名高き旭川だけあつて、雪も深い。」一直線の道に電柱が立ち並んだ様子を、「見るからに気持がよい」と評している。
名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
宿屋安けし
我が家のごと
旭川とは、アイヌ語でチュウベツ(忠別)と言い、チュウは日の出、ベツは川、日の出るほうから流れる川、それが旭川の語源だと同伴した議員から聞いたのは、この宿での夜のことだ。啄木が旭川で過ごした最初で最後の夜となった。
今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな
記者として勤め先を転々としながら放浪を続けるその胸中は、いかがなものだったか。今夜こそ思う存分泣きたいと思い立った地が旭川だったのは、なぜだろう。
翌朝は6時半発の汽車に乗った。「程なくして枯林の中から旭日が赤々と上つた。空知川の岸に添うて上る。此辺が所謂最も北海道的な所だ。」汽車は滝川を過ぎ、十勝を経て釧路へと向かったのである。
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